大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)1467号 判決 1966年4月22日
一三八〇号事件控訴人 一四六七号事件被控訴人(被告) 石川島播磨重工業株式会社
一三八〇号事件被控訴人(原告) 玉田国弘
一四六七号事件控訴人(原告) 小西一郎 外四名
主文
原判決中一審被告敗訴の部分を取り消す。
一審原告玉田の請求を棄却する。
一審原告小西、同兵藤、同金地、同松本、同西浜の本件控訴を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも一審原告らの負担とする。
事実
昭和三八年(ネ)第一、四六七号事件につき、一審原告小西、同兵藤、同金地、同松本、同西浜訴訟代理人は、「原判決中一審原告小西、同兵藤、同金地、同松本、同西浜敗訴の部分を取り消す。同一審原告らはいずれも一審被告と雇傭関係に立つての従業員であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも一審被告の負担とする。」との判決を求め、一審被告訴訟代理人は、「本件控訴を棄却する。訴訟費用は同一審原告らの負担とする。」との判決を求め、昭和三八年(ネ)第一、三八〇号事件につき、一審被告訴訟代理人は、「原判決中一審被告敗訴の部分を取り消す。一審原告玉田の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも同一審原告の負担とする。」との判決を求め、一審原告玉田訴訟代理人は、「本件控訴を棄却する。訴訟費用は一審被告の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は次に記載するほか原判決事実摘示のとおりであるから、こゝに、これを引用する(ただし、原判決八枚目表四行目(注、例集一四巻五号一一八九ページ九行目)に「判決すべき」とあるのを「判断すべき」と、一三枚目表末行目(注、同上一一九三ページ七行目)に「●〔編注:「てへん」+「勢」〕拗」とあるのを「執拗」と、九八枚目裏二行目から三行目にかけて「確立からるべし」と、あるのを「確立せらるべし」と、一〇六枚目冒頭に「被告らの認否」とあるのを「原告らの認否」と、次行に「金治」とあるのを「金地」と、兵藤認否欄三II「認」とあるのを「印認」と、金地認否欄三III「認(但し訂正個所不知)」とあるのを「印認(但し訂正個所不知)」と、同枚目裏兵藤認否欄四I「否認(印認)」とあるのを「印認」と、七II「認」とあるのを「認(但し日時の点は不知)」と、金地認否欄四II「否認(印認)」とあるのを「印認」と各訂正する)。
一、事実関係。
(一) 一審被告訴訟代理人は次のとおり述べた。
(1) 一審原告玉田関係について。
(イ) 一審原告(以下単に原告と称する)玉田は本件解雇を承認していたものであり、同原告が他の原告ら特に原告小西と同様に退職願を提出して特別退職金を受給する方途を選ばなかつたからといつて、これを承認する意思がなかつたと速断するのは誤りである。すなわち、原告らと雇傭関係のあつた、一審被告(以下単に被告と称する)に吸収合併前の株式会社播磨造船所(以下単に会社という)は、昭和二五年一〇月一四日予めの調査に基づいて整理基準に該当する者としていた原告らを含む従業員二〇名に対し解雇通知書を発し、その後右従業員らの所属労働組合と交渉を重ねていたが、同組合は、同月一七日正午から組合員の全体投票によつて会社の人員整理を承認するか否かにつき最終的態度を決定することとなり、会社に対し右通知書による同日正午迄の退職願の提出期限を延長して欲しい旨の申出をなした。そこで、会社もこれを承諾したのであるが、右時刻に全体投票が行なわれた結果、同組合は右整理を承認することに決定した次第である。しかし、同組合としては、あくまで自己は整理基準に該当しないと考える者に対しては支援を惜しまないこととし、その旨を前記二〇名の被勧告者に伝達したところ、原告小西、および訴外川崎甚五郎の二名のみは右支援方依頼の申出をなしたものの如くであるが、原告兵藤、同金地、同松本、同西浜を含む一一名の者は会社の前記勧告に応じ同日中に右組合を通じて退職願を提出し、翌一八日退職金等の支給を受けた。なお、右組合が特に支援することを約した原告小西、および前記訴外川崎も、その後右組合を通じ同月一七日付で退職願を提出するからすでにこれを提出済みの者と同様の取扱いにして欲しい旨を申し出たので、会社はこれを承諾し、同月二六日その退職願を受領したものである。そして、右以外の原告玉田を含む七名の者は会社の勧告に応じて退職願こそ提出しなかつたが、同月三〇日もしくは三一日に、いずれもなんら異議をとどめることなく会社がかねて供託しておいた退職金、解雇予告手当金の還付を受け、爾来原告玉田においては本訴を提起するまで、また、他の六名の者においては今日まで被告に対し解雇に関する異議等を申し出たことは全然ないのである。以上の次第であつて、原告小西、および右訴外川崎が任意退職者と同様の取扱いを受けたのは右組合の支援を受けていたからであるが、一方、原告玉田においては、原告小西同様任意退職による特別退職金受給の処遇を望んだとしても、今更右組合にその斡旋方を申し入れかねたであろうし、客観的にもかかる申入れをなすことは不可能に近い状況にあつたのであるから、原告玉田が原告小西と同じ方途を選ばなかつたのは、けだし当然のことというべく、これをもつて原告玉田が前記解雇を承認する意思がなかつたとなすのは独断のそしりを免れないといわなければならない。むしろ、原告玉田がなんら異議なく前記供託金の還付を受けた事実等に徴すれば、同原告は右解雇を承認し、将来その効力を争わない意思を明らかにしたものというべきである。
(ロ) 仮に、右主張が理由ないとしても、原告玉田に対する本件解雇はいわゆるレツド・パージとして有効になされたものというべきところ、その法的根拠は次に述べるとおりである。すなわち、占領治下におけるわが国の基本的地位は昭和二〇年九月二日の降伏文書によつて定まつたのであるが、同文書によれば、わが国統治の権限は降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる連合軍最高司令官の制限のもとにおかれ、わが国の政府および国民は、右最高司令官が適当と認めて発する一切の布告、命令および指示に服することとなつたのである。ところで、元来連合国官憲が占領下において発する命令ないし指示には、その形式、手続について法定せられたものがなかつたばかりでなく、その内容を表現する文言自体についても特段の規制はなく、専ら当該官憲の自由な意思によつて、時には直接に作為、不作為を命ずる形式をとり、時には穏和な表現を用いて希望、警告、説示、要請の形式をとり、更には一見わが国の政府に対して執るべき措置を命ずる形式をとりながら、同時にわが国民に対する関係においても命令としての意味を持たせた場合も存し、そのいずれの場合であつても、それが連合国最高司令官の管理上の要求として発せられたものと解せられる限り、形式的表現のいかんにかかわらず、右最高司令官の命令ないし指示として憲法その他のわが国内法規に優越して最終的権威を有し、ひいてわが国内法規はこれに牴触する範囲でその適用を排除されていたのである。したがつて、右最高司令官の声明ないしは書簡についても、それが占領政策実施のための適当な措置として発せられたものである以上、命令ないし指示としての性格、効力を有していたものというべきである。もつとも、当該声明ないし書簡がかかる命令ないし指示としての性格、効力を有する場合には、もとより法規範たるにふさわしい表現をもつことが望ましいのであるが、法規範としての内容が表現自体によつて十分明らかでない場合においても、事後において権限のある機関によりその内容が具体的に明確にされることもあり得るのであつて、かかる場合、右声明ないし書簡等が発せられた客観的諸事情に照らし、それが連合国の基本方針につき一定の具体的な方向づけを行うことを意図して発せられたものと解され、しかもその声明ないし書簡が官報によつて広く国民一般に公示せられた以上、これを命令ないし指示としての効力を有するものと解するのが占領治下におけるわが国の実情にかんがみて相当であるというべきである。
しかるところ、連合国最高司令官は、昭和二五年五月三日、同年六月六日、同年七月一八日と相次いで声明および書簡(いわゆるマ書簡)を発し、わが国政府に対して日本共産党に対する諸措置を指示するとともに、同党の性格とその実践行動について繰り返し見解を述べ、わが国民の間における民主主義的傾向の強化に対するかかる障害を排除することはポツダム宣言、ひいては右宣言の実施にあたる連合国当局の基本方針であることを明らかにし、進んでわが国民がかかる共産党の破壊的諸活動に対して適切な措置を講ずべき必要のあることを再三にわたり警告し、かつ、要望しているのである。このように、右声明ないし書簡は、当時の連合国最高司令官ないし総司令部において国際的および国内的諸情勢のもとにおける占領政策を示し、これを達成するために必要な措置として発せられたものであるが、その趣旨とするところは、公共的報道機関その他重要産業の経営者に対し、その企業内から共産主義者またはその支持者を排除すべきことを要請したものであつて、右声明ないし書簡が前記指示にあたることは言をまたないところである。なお、連合国総司令部経済科学局エーミス労働課長は、右重要産業等についての右書簡の解釈の表示として、その権限に基づき昭和二五年九月二五、六日に右重要産業の種別、内容等を明らかにしたいわゆるエーミス談話を発表したが、これによれば、造船業も右重要産業に含まれていたのである。
そうすると、造船業者たる会社が連合国最高司令官の右指示に従つて原告玉田に対してなした前記解雇は当然法律上の効力を有するものと解するのが相当であり、右解雇の効力は、その後右指示が平和条約の発効とともに失効したとしてもなんら影響を受けるものではない(最決昭和三五、四、一八等参照)。
(ハ) 仮に、右主張が認められないとしても、原告玉田の本訴請求は信義誠実の原則に反し、権利の濫用であるのみならず、いわゆる失効の原則に照らして到底許されないものというべく、この点については被告が従前主張しているとおりである。なお、附言するに、原告玉田が被告の勧告に応じて退職願を提出しなかつたことは前記のとおりであるが、それがひとえに将来解雇の効力を争う余地を残すためにとられた措置であると速断するのは明らかに行きすぎであつて、このことは、現に退職願を提出した原告小西ら一部の者が解雇の効力を争つているのに対し、一方原告玉田同様退職願を提出しなかつた他の六名の者において今日までなんら解雇の効力を争つていない事実に徴してもうかがわれるところである。のみならず、もともと、雇傭関係は近代企業組織の内部における一つの継続的関係であり、流動変転してやまない企業の性格上法的安定性が強く要請せられているものであるところ、終戦後における企業の推移は殊に著しく、このことはほとんど公知の事実である。従つて、解雇された者が退職金、予告手当等を受領して職場を現実に離れ、その後解雇につきなんら不服を述べることなく数年を経過した場合においては、たとえ当初解雇の効力をめぐつて多少問題があつたとしても、最早被解雇者においてこれを争う意思がないとみるのが相当であり、いわんや本件のように解雇後本訴提起までに一〇年近くの年月を経た場合においてはなおさらである。さらに、被占領時代における反レツド・パージ抗争が容易に効を奏しなかつたからといつて、このことは、一般に、使用者側において被解雇者から将来レツド・パージを理由とする解雇無効確認等の訴訟が提起されることはないであろうとの確信を深める一つの客観的根拠にこそなれ、本訴請求が許される理由にはならないというべきである。
(2) 原告金地関係について。
原告金地は、明治四二年一月六日生れであるところ、昭和三九年一月五日をもつて被告の就業規則(乙第七号証の二)に基づく停年退職年令たる満五五才に達し、すでに当然停年退職となつているのであるから、同原告は被告との間に確認を求むべきなんらの雇傭関係も存しないというべきである。
(二) 原告ら訴訟代理人は、原告金地が昭和三九年一月五日付をもつて停年退職年令に達したことは認めると述べた。
二、証拠関係<省略>
理由
一、被告が昭和三五年一二月一日会社(株式会社播磨造船所)を吸収合併し、その権利義務を包括承継したこと、原告らが右合併前の会社と雇傭関係に立ちその従業員であつたこと、会社が原告らに対し昭和二五年一〇月一四日付書面で同月一七日までに退職願を会社に提出することにより任意退職を申し出るよう勧告をなすとともに、右勧告に応じなければ右同日付をもつて解雇する旨の通告をなし、原告らがそれぞれ遅滞なく該通告書を受領したこと、および原告玉田を除くその余の原告らが同年同月一七日付をもつてそれぞれ会社に対し退職願を提出し、通常の退職金、解雇予告手当のほか特別退職金を受領したことはいずれも当事者間に争いのないところである。
二、原告玉田を除くその余の原告らと会社との雇傭関係の存否について。
前記一認定の事実によれば、会社は右原告らの退職の申入れを承諾したことにより、同原告らと会社との雇傭関係は合意解約(合意退職)により終了したものというべきである。
同原告らは前認定の通告書を以て単なる一方的解雇であると主張するが、右通告書の文面からそのようにみることができないのはいうまでもない。もつとも原審証人明石直太の証言によると、同原告らの退職願は右通告書に定める退職申出期間を数日ないし一〇数日経過後になされたものであることが認められるから、通告書の趣旨に従い、期間経過とともに一方的な解雇の意思表示があつたものといわなければならないけれども、右証言ならびに同原告らのうち小西、松本、西浜の各関係部分につき成立に争いのない乙第三号証の一、同号証の四、五、同原告安藤、金地の各印影の成立に争いがないので、真正に成立したものと推定する同号証の二、三(ただし乙第三号証の三の訂正箇所を除く)によると、通告書所定の退職申入期間内に退職願を提出したときは相当多額の特別退職金が支給されることになつていたため、同原告らは所属の労働組合を通じ会社に対し所定期間内に退職願を提出したのと同様の取扱いをして貰いたい旨申入れ、会社もこれを諒承の上、同原告らが、指定期限の末日である昭和二五年一〇月一七日の日付で提出した、退職願を異議なく受領したものであることが認められるのであつて、右事実関係によれば、会社は同原告らと合意の上、さきになした一方的解雇の効力は生じなかつたものとし、右指定期限の末日に合意退職したことに取り扱う旨の約定が成立したものというべく、右の如き約定も第三者の利害関係に影響のない本件の場合には有効であること勿論であつて、これを以て同原告ら主張の如く、一方的解雇であるとなし難いのは、いうまでもない。
同原告らは、同原告らの右退職願は非真意意思表示であり、会社もこれを知り、または知りうべき状況にあつたのであるから、右合意退職は無効であると主張するが、これを認めるに足る的確な証拠はないから、同原告らの右主張は採用できない。
同原告らはさらに、会社の前記通告書による任意退職の勧告は、被勧告者が日本共産党員ないしはその同調者であることを理由として、これを企業から排除し、労働組合を弱体化させることを企図してなされたものであるから、これに応じた同原告らの退職の意思表示ならびに右意思表示を前提とする合意解約は、憲法一四条一項、一九条、二一条一項、二八条、労働基準法三条、労働組合法七条一項、民法一条二項、三項、九〇条の明文ないしは趣旨からみて、無効であると主張する。
合意退職の場合においても、退職者が使用者の不当労働行為や信条を理由とする差別的取扱いに盲従し、別途の動機により自由な退職をしたものと認め難いときは、これを労使間の公序良俗に反するものとして無効と解すべき余地がないでもないが、本件は同原告らも主張する如く、いわゆるレツド・パージによる従業員の整理であり、これが当時超国内法的規範として最終的権威を有していた連合国最高司令官の指令ないし指示に基づくものである以上、不当労働行為の禁止、信条を理由とする差別取扱いの禁止に関する国内法の規定は勿論、その他同原告らの挙示する国内法の規定も適用の余地がないこと明らかである。
もつとも、レツド・パージの根拠をなす連合国最高司令官の昭和二五年七月一八日付内閣総理大臣宛の書簡等が、単に公共的報道機関のみならず、その他の重要産業の経営者に対しても企業から共産党員およびその同調者を排除すべきことを要請したものであるかどうかは必ずしも明らかでなく、疑義の存するところであるが、当裁判所に顕著なように最高裁判所昭和三五年四月一八日大法廷決定(民集一四巻六号九〇五頁以下)によれば、これを積極に解すべきである旨の指示が最高裁判所に対してなされたことは同法廷に顕著な事実であり、そしてこのような解釈指示は、当時においてはわが国の国家機関及び国民に対し、最終的権威をもつていたのであると説示している以上(その後右と同旨ないしは基調を同じくする屡次の最高裁判所の裁判(最判昭和四〇、一二、一七、同四〇、一二、二三、等)がなされている。)、反証のない限り前記解釈指示が最高裁判所に対してなされたものとして当裁判所も右指示に拘束されるものとしなければならない(昭和二〇、九、三、連合国最高司令官指令二号四項参照)。そして会社の経営する造船業が、右重要産業に該当することは、同原告らがすべて成立を認める乙第一七号証の七によつて認めうる如く、昭和二五年九月下旬頃連合国総司令部経済科学局労働課長から造船その他の民間産業部門の代表者らに対し、企業破壊的活動分子を排除すべき旨の勧告(エーミス談話)がなされたことに徴して明らかであり、同原告らのうち小西を除くその余のものが共産党員ないしはその同調者であることは同人らの自認するところであるから、右原告らは前記合意退職を以て、国内法の明文ないしは趣旨に反するものとしてその効力を争うことはできないものといわなければならない。
右に関し同原告らは前掲連合国最高司令官の書簡は、ポツダム宣言および極東委員会の対日基本方針に違反し、無効であると主張するが、ポツダム宣言を受諾した日本国としては右書簡の効力の有無につき審査権をもつ立場にないのであるから(最判、昭和四〇、九、八、参照)、右主張は採用できない。
もつとも同原告らのうち小西は、自己が本件レツド・パージの対象たる共産党員ないしはその同調者でなかつたと主張する。原審証人明石直太の証言によると、同原告はその所属の労働組合を通じ会社に対し自己がレツド・パージの対象者でない旨表明して、前記退職勧告に反対していたが、その後右組合がレツド・パージをやむをえないものとして、これを承認する態勢を示すに至つた関係もあつて、会社に対する抗議を取りやめ、前認定のように、勧告書に定める退職申入期間後に、会社との合意の下に進んで退職願いを提出し、これによつて右期間の末日に合意退職したのと同様の取扱いを受けることになり、解雇予告手当、正規の退職金のほか、本件整理による特別退職金の支給を受けていることが認められるのであるから、反証のない限り自己が共産党員、そうでなくてもその同調者であることを自認したものとして、一応その事実を推認すべきであり、この点において右合意退職の効力を争うことができないのは前同様であるというべく、かりにそうでないとしても、前認定の事実によれば、同原告の退職は、レツド・パージによる会社の整理に盲従したというよりは、所属組合の情勢その他四囲の事情を考慮し、このさいあくまで会社と抗争するよりは、特別退職金をも受領し、今後の生計の途を考え直した方が得策であるとの別途の自由な動機から進んで会社の退職勧告に応じたものとみるのが相当である。そうであれば退職自由の原則からみて、右合意退職が、労使間の公序良俗に反し、無効であるとは解し難い。
三、原告玉田に対する解雇の効力について
(一) 会社が昭和二五年一〇月一四日付書面で同原告に対し同月一七日までに退職願を提出すべき旨の退職勧告をなすとともにこれに応じないときは同日付を以て解雇する旨の意思表示をし、これがその頃同原告に到達したことは冒頭認定のとおりであり、同原告が右退職勧告に応じなかつたため、同月一七日付を以て解雇の意思表示を受けた関係になることは弁論の全趣旨に照して明らかである。
そして会社が右解雇にあたり同原告に対し解雇予告手当、正規の退職金を支給すべきものとして、これを供託したところ、同原告がその後右供託金の還付を受けたことは、当事者間に争いがなく、また同原告が供託金の受領にあたり、何ら異議を述べずまた何らの留保もしなかつたことは原審における同原告本人尋問の結果によつて明らかである。
(二) 被告は同原告が右の如く供託された解雇予告手当、退職金の還付を受けたことを以て解雇の承認をしたものと主張する。
使用者が従業員の解雇にあたり従業員に支給すべき解雇予告手当、退職金を当該従業員が受領しないためこれを供託した後、その従業員が供託書の交付を受けてその供託金を受領したときは、受領のさい別段の留保の意思表示をなした等特別の事情のない限り、自己の使用者に対する解雇予告手当、および退職金の請求権の存在を認めたものであり、したがつてその前提となる解雇の効力を承認したものというべきであることは、従業員が直接使用者から異議なく解雇予告手当、退職金を受領した場合と異なるところはないのである。その際被解雇者が解雇に反対の意思をもつていたとしても、これを表示するか、あるいは使用者においてこれを知つていたか、もしくは知りうべき状況にあつた場合でない限り、解雇承認の効力を否定することができないのはいうまでもない。
したがつて、同原告が前記の如く供託された解雇予告手当、退職金を何ら留保するところなく、また何ら異議を述べることなく受領した以上、解雇を承認したものとみるべきであることは前説示のとおりである。同原告は生活難のため、供託金を受領しただけで解雇承認の意思はなかつたと主張するが、かりにそうであつても、会社がこれを知り、または知りうべき状況にあつたことについて何ら主張をしていないし、またこれを認めるに足る的確な証拠もない(もつとも解雇の承認をするくらいであれば、合意退職をして特別退職金を貰うのが自然であり、会社もこのことは予測できたのではないかという観もないではないが、同原告が供託金を受領したのは会社の定める退職申入期間を過ぎ、会社が一方的解雇をした後であること前認定のとおりであるから、同原告が会社に対し、一旦なした一方的解雇の取り止めを要求し、合意退職をした場合の特別退職金の支給を求めてこなかつたからといつて、会社が同原告の供託金受領当時解雇不承認であつたことを容易に予想できたものとは考え難い。)。また同原告は会社の解雇は無効であるから、その承認は無意味であり、これによつて何らの効力を生ずることはないというが、解雇が有効であれば、その承認の有無にかゝわらず、雇傭関係は終了するのであつて、解雇が無効の場合に始めて解雇の承認が意味をもち、その効果が問題視されるのであるから、この点に関する同原告の主張もまた採用し難い。
(三) ところで解雇の承認といつても、その法律構成は具体的な事情に応じて異るのであつて、一律的なものではない。使用者の合意解約の申込に対する承諾と解される場合もあれば、また将来解雇の効力を争わない旨の和解とみるべき場合もないではない。さらに解雇の効力を争わない意思を表明したものとして、訴権ないしは訴えの利益の放棄あるいは原告適格の喪失とみる見解も考えられないではない。しかし本件の場合、会社が前記通告書によつてなした退職勧告の内容が、前認定の如く一定の期日までに退職願の提出を勧告し、これに応じないものは、その期日限り解雇するというのであるから、その一方的解雇の意思表示(告知)を無効行為の転換理論により、会社の合意解約の申込とし、解雇の承認をこれに対する承諾とみることは無理であり(況んや解雇の承認を同原告からの積極的な退職の申出または合意退職(合意解約)の申込とみることができないのはいうまでもない。)、また同原告および会社双方の互譲による紛争解決の和解とみることも実情にそわない。さりとて訴権ないしは訴えの利益の放棄、あるいは原告適格の喪失とみるのは行き過ぎである。むしろ解雇予告手当、退職金の受領によつて解雇の効力を争わない意思を表明し、しかもその後本件提起に至るまで約一〇年間何ら解雇について異議を述べなかつた点(このことは弁論の全趣旨に照して推認できる。)において、禁反言の法理の趣旨からも、信義則上からも、いまさら解雇の無効を理由に雇傭関係の存在を主張し、雇傭契約上の権利を行使することは許されないものと解するのが相当である。この点につき、同原告の主張する貧困、社会的圧力、再失職のおそれ等の諸事情は、右判断の支障になるものとは考えられない。
しかのみならず、同原告に対する会社の解雇も、他の原告らと同様、連合国最高司令官の指令、指示に基づく、いわゆるレツド・パージとして行われたものであることは当事者間に争いがなく、会社の営む造船業がレッド・パージの適用を受ける重要産業であること前説示のとおりであり、かつ同原告がこれにより会社の企業より排除されるべき共産党員であることは、成立に争いのない乙第五六号証の一、二、同第五七号証の二、第五八号証の二によつて認められ、また右連合国最高司令官の指令ないし指示が超国内法的効力を有する以上、右解雇は信条を理由とする差別取扱いや不当労働行為を禁ずる国内法あるいはその他の強行法規たる国内法に違背するかどうかに拘らず、有効なものとしなければならないのはいうまでもない。
四、結論
以上の次第であつて、原告玉田を除くその余の原告らと会社との雇傭関係は前記合意解約により、また、原告玉田と会社との雇傭関係は前記解雇によりすでに終了したものというべきであるから、原告らが会社の包括承継人である被告と雇傭関係に立つ従業員であることの確認を求める原告らの本訴請求は全部失当として棄却すべきである。そうすると、原判決中原告玉田を除くその余の原告らの各請求を棄却した部分は相当であり、同原告らの控訴は理由がないからこれを棄却すべきであるが、原告玉田の請求を認容した部分は失当であるから取消しを免れない。
よつて、訴訟費用の負担について民訴法九六条、九三条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 金田宇佐夫 日高敏夫 中島一郎)